ヨレヨレオジサンの新米映像プロデューサー日記

66歳の新米映像プロデューサーの徒然日記

単なる歴史解説はつまらない、歴史フィクションは性に合わない

野暮用でブログの更新を2日もさぼってしまいました。😢 歴史ドキュメンタリー風の映像にはドラマが必要という書き込みの続き。・・・私の目指す映像はどこにある?ずっと考えていました。他の人に何と説明すればよいのか、分かっていただけるのか、考え始めると悩みは尽きない。単なる歴史解説でもない、考古学的な証拠に基づく制作だと学術論文を映像にしたようでつまらない。某放送局のような歴史ものがいいか!?「歴史〇〇トリア」?でもそれではパクリの域を出ない。ならば、いっそのことフィクションにするか?でも性に合わないな。そこで思いついた。考古学的な証拠、文献があれば文献も大いに参考にするが、それだけでは過去の再現はできない。生物の進化過程を推理していくときに必要な「ミッシングリンク(失われた環)」のようなものを想定すれば、活き活きと過去を再現できるのではないか。考古学がすべてのエリアを発掘等でカバーできないのだから、やはり「ミッシングリンク(失われた環)」は必要なのだ。そうすればドラマ性も必然的に生じる。我ながらいいアイディアだと思った。でも実現はなかなかむずかしい。映像制作一作ごとに、合理的な「ミッシングリンク(失われた環)」をいくつも考え出さなくてはならない。うーん。でもやるしかないな。もともと理系だから、フィクションにならないように十分に注意しながら、確率なんかも重視しながら、また学際的な資料、特に地学とか気象学とか地球プレート理論とか鉄鋼学とかも読み漁りながら進んで行くことにしよう!「ミッシングリンク(失われた環)」が増えれば増えるほど、ドラマ性は増すのだ。