ヨレヨレオジサンの新米映像プロデューサー日記

66歳の新米映像プロデューサーの徒然日記

明治以降のヨーロッパ偏重からの脱却

明治維新前後から、盛んにヨーロッパの学問を輸入した。考古学も例外ではない。結果、日本の古い歴史を解釈するのに、ヨーロッパの学問の枠組みを強引に当てはめるということになり、日本独自の文化が抜け落ちる。それが今も続いている。ヨーロッパの大航海時代というのは、ある意味で、ヨーロッパによる大規模な略奪だった。アメリカ大陸、アフリカ大陸、アジア、中東、あらゆる場所で略奪が行われた。その略奪した富でいまのヨーロッパがある。へそ曲がりの私は、ヨーロッパの古い建物を見ると、略奪した富で建てられたものだと思えてならない。日本にとってずっと目標でもあり、お手本でもあった中国はアヘン戦争でいとも簡単にイギリスに負けた。それを見た当時の日本はあわてた。日本もやられる。だからヨーロッパの学問を取り入れて追いつけ、そうすれば略奪から逃れられる。そう思ったのだろう。だからといって日本独自の文化や歴史まで捨てることはない。極端なんだね。いつまで略奪文化を後生大事に崇め奉るのか?いまや世界一の考古学者数をかかえる日本、縄文時代の1万を軽く超える遺跡、こうしたものを略奪文化で読み解こうという姿勢からそろそろ卒業しようではありませんか!