ヨレヨレオジサンの新米映像プロデューサー日記

66歳の新米映像プロデューサーの徒然日記

薄っぺらい感動なんかも乗り越えて

最近の薄っぺらい感動引き出し映画は好きになれない。なんだかとても下卑ていて、人間の低俗さを見せつけられている気がして気分が悪くなる。死を前にした人間にはもっとさまざまな死に方があるだろう。ある夫婦がいた。妻が臨終のとき、子供たちに夫を枕元に呼んでくれと言った。子供たちも夫も最後のしみじみとした会話を交わすのだろうと期待した。しかし臨終間際の妻の口から出たのは「バカ野郎」だった。これも人生。おかしみがこみ上げてくる。だから、薄っぺらい感動なんか乗り越えなくてはならない。

あと何本作れるのか?

少し前、知り合いに年間2から3本のペースで映像制作したいと言ったら驚かれた。じっくり作るべきとの思いからの発言なのだろう。私はいま66歳。自分が企画してシナリオも書き、制作にも深く関わるというやり方ならば、あと10年頑張れるかな?ボケ老人になったら作れない。😂 健康に十二分に留意して、トレーニングもすればもっと長持ちするかもしれないが、幸運をあてにして、死ぬ間際に、もっと急げば良かったと後悔したくない。だから、最低でも年間2本は作りたい。それとテーマ。美味しいものを最後に残すのもダメだな。いまから後悔が見えている。いま一番作りたいものから作ろう。徐々に身につく技術やテクニックはどうでもいい。だからこそ、いいチームなのだ。そこで助けてもらおう。

暗い未来しかない次世代と次々世代に発信

私は66歳。もう元気で活動するために残された時間は少ない。いまやりたいのは、暗い未来しかない次世代と次々世代に、過去も未来も暗くないというメッセージを発信すること。特に、古代史の常識をくつがえし、新たな古代史の地平を切り拓くことで、過去と連動する未来にも新たな地平が拓けることを伝えたい。もう自分のためだけじゃないのだ。そんな年齢になったのだとしみじみ思う。良い方向に進んでいるようだ。

いつまでも変われないこの国と地方

かつてイチローのCMで「変わらなきゃ」も「変わらなきゃ」というのがありました。いまこの国も地方も「変わらなきゃ」ならないのに、長い間「変われない」ままです。でも関係者は変えていると言うかも知れません。枝葉末節の些末なことだけを入れ替えているのでしょう。おそらく何を変えなければならないのかが分からないのではないでしょうか?変えられる人材は、変われないこの国の異端でないと無理なのでしょうね。そうした時代はいつ来るのか?人をあてにしているといつまでも変わらないので自分でやってみようと思います。