ヨレヨレオジサンの新米映像プロデューサー日記

66歳の新米映像プロデューサーの徒然日記

神もカリスマも改革も変革もとても軽くなった時代

ちょっとしたあざやかな対応は「神対応」、狭い業界でトップ集団になると「カリスマ」、政治のわずかな修正にもすぐに「改革」、わずかな文化の変化にも「変革」。日本ではいま、言葉が非常に軽くなっている。言霊の国にはありえない事態。思考の軸が揺らいでいて中心が定まらず、フラフラしているから、上っ面だけの、内容の伴わない標語がはびこっているのだろう。そのせいで「世界」はドンドン小さくなって、縮んでいる。息苦しい時代。自ら狭い世界に閉じ込めている。こんな時代は危険だ。扇状的な言葉で国をミスリードする輩が出て来たらひとたまりもない。だから、健康な批判精神が求められる。批判精神の基礎のひとつが正しい歴史観。その歴史観が歪んでいては正しい批判も出来ない道理だ。

目指すぞ!歴史映像分野の永守重信氏、柳井正氏。

最近の日本を見ていると、アヘン戦争で無惨にも敗戦した中国清朝の宦官政治がダブって見えてくる。前例主義、幻影にすぎない大国主義、自分さえ良ければいいという利己主義などが蔓延しているのが共通していると思う。そして中国はプライドも何もかも失った。日本でも歴史に学ぼうというなら、その歴史を学んで欲しいものだ。そしてこの激動の時代に、大改革に挑戦できないリーダーは即刻辞するべき。近い将来来る大沈没に道連れを囲い込んでいるだけだ。その点で、私の目指すお二方はすごい。永守氏は、文科省の向こうを張り、独自運営の大学まで作った。次は大学院も高校も作ると。語らせたら保守思考の人は大変だ。ついていけないだろう。柳井氏の発言もすごい。今すぐ、国家予算を半分に、公務員も減らせ、国会議員はじめ、市町村議員も減らせ、2年で!だと。これくらい映像で言える人を目指そう❗️

勇気を持って真実の歴史を掘り起こせ

正月最初の書き込みは、真実を追求するには勇気が必要だということ。権力によって捻じ曲げられた歴史をくつがえし、真実の歴史と入れ替えるのはすんなりとはいかない。さまざまな抵抗があるのは確実。ときには危うい場面に直面するかもしれない。権力におもねり、批判を恐れ、逃げ腰、弱腰になったり、尻込みしたりしていては、真実の歴史にたどり着く訳がない。核心に迫れば迫るほど強い意志が必要だ。このことを新年にあたり表明しておくことにしたい。

われわれはいったい何を見ているのか?

晦日、今年最後の書き込みは、これまで教えられてきたのは大半が歴史の幻影かもしれない、ということ。一部だけではなく、基礎部分や特に古い歴史はけっこう大きな部分が幻影ではないか?そんな気がしてきた。そのことを証明するための映像制作事業を私のライフワークに据えた。いったい、これから先、どんな歴史像が出現するのか、自分でも楽しみながら制作に励んでいきたい。それにしても、いままでは、いったい何を見てきたのだろうか?教育や定説の意味をあらためて考え直さなければならない。ほんとにおそろしいものだ。真実は幻影と入れ替えられ、人間は簡単に幻を真実と見間違えるものだ。

東北にはこの国をひっくり返すような埋もれた歴史がたくさんある

生まれが東北だからというだけでなく、東北には埋もれた歴史がたくさんあると思う。それも日本の歴史をひっくり返す規模の埋もれた歴史である。ネタバレするので、具体的な内容は控えさせてもらうが、面白すぎて、かつ悲しすぎて、衝撃的な歴史がいっぱいだ。これまでなぜ注目されて来なかったのだろうと思うほどだ。まあ、私にとっては創作の種がいっぱいあるということでうれしいが。それにしても、歴史の定説というのは鵜呑みにしてはいけないものだとつくづく思う。だから、間欠泉のように、嵐のような歴史ブームがわき起こるのではないか?無意識に人々は新たな歴史の枠組みを求めているのかもしれない。東北はその要望に応えられるかもしれない。

この歳で赤面してもいいか—クソ度胸

歳をとってくるとあまり人前で恥をかきたくないものだ。経験を積んだ熟した人間を演じたいのだ。内実はそうではないが。そのためにせっかくの新たな挑戦の機会を失う。もったいないことだ。まったくの新分野に進むということは「新人」扱いが当然。1年程度の経験しかない若造にも、何も知らない素人扱いされるのは不可避。言葉もぞんざいな奴もいる。でもそこで怒ってはいけない。あとはなるべく早く知識を吸収することだ。だが、素人映像プロデューサーはもっと大変。馬鹿にされるだけでなく、プロジェクトが進まない。ぞんざいに扱われても、怒られても耐えるしかない。さらに、出来上がった作品の評価にあたっては赤面すること多々あり。文字通り顔から火が出るのだ。褒められても、ほんとに褒めているのか、馬鹿にしているんじゃないかと疑い深くなる。言葉に出す評価、密かにかわされる評価、それらに耐えなければならない。有名作家に傑作はどの作品ですかと聞いたら、答えは「次の作品」という話を慰めにして居直るしかない。もうクソ度胸しか頼れるものはないんだよ。

ど素人発想でオリジナルな映像手法

65歳で映像制作を始めたが、専門の学校に行ったわけでもなく、本で勉強したわけでもない。この歳でいまさら現代の映像づくりをなぞったところで、修得したら、さらに老化して身体が動かないんじゃ、何のために未知の分野に飛び込んだのか分からない。だから最初から我流を通そうと考えた。テーマもオリジナルでひと真似しない、映像手法も我流。観客を唸らせる作品は目指したいが、その前に、自分が表現したいものを、自分の方法で表現する。それがいまのスタイル。とはいえ、映像作品づくりにはカメラマンや編集スタッフの協力は不可避。だから、自分から提案はするが、出来ないと言われれば従う。ほかの方法を編み出す。でも大抵は通る。協力してくれる。しばらくこの方法で映像づくりを進めていくつもりだ。