ヨレヨレオジサンの新米映像プロデューサー日記

66歳の新米映像プロデューサーの徒然日記

ど素人発想でオリジナルな映像手法

65歳で映像制作を始めたが、専門の学校に行ったわけでもなく、本で勉強したわけでもない。この歳でいまさら現代の映像づくりをなぞったところで、修得したら、さらに老化して身体が動かないんじゃ、何のために未知の分野に飛び込んだのか分からない。だから最初から我流を通そうと考えた。テーマもオリジナルでひと真似しない、映像手法も我流。観客を唸らせる作品は目指したいが、その前に、自分が表現したいものを、自分の方法で表現する。それがいまのスタイル。とはいえ、映像作品づくりにはカメラマンや編集スタッフの協力は不可避。だから、自分から提案はするが、出来ないと言われれば従う。ほかの方法を編み出す。でも大抵は通る。協力してくれる。しばらくこの方法で映像づくりを進めていくつもりだ。

無謀にも単独で歴史改ざんの改正に挑戦してみる

66歳になり、さまざまな社会のしがらみから解放されて以前より自由になった。また残りの人生をかけて、何か社会に貢献したいという気持が強くなった。そこで、この歴史改ざんに、無謀にも、単独で挑戦してみようと考えた。まるでドンキホーテのようなものだ。しかし、いたって真面目。本による挑戦も考えたが、映像の方がよりアピール度が高いと判断した。それでまったくの未知の映像の世界に飛び込んだという次第。まだまだ未熟だが、最初から傑作など生まれないと、あくまで楽観的に進んでいこうと思っている。とはいえ、歴史改ざんのネタは山のようにある。どこから手をつけるか?人真似が大嫌いな私は、まだ誰も手をつけたことのない分野からスタートしようと考えた。それが東北の埋もれた歴史の掘り起こしだった。日本史上、何度も負け続けだ東北には、埋もれた歴史がたくさんある。それを掘り起こすと、この国の歴史改ざんが鮮やかに立ち現れるのだ。

歴史改ざんと戦争との関係

過去3回の歴史改ざんは戦争と深い関係がある。第二次大戦後の改ざんは、敗戦だったが、明治維新以降の複数の戦争の終わりでもあった。明治維新以降の改ざんは、戦争へとまっしぐらに突入していくことと表裏一体。最初の改ざんは、大和朝廷朝鮮半島での白村江の戦いで大敗戦して、急遽、海外勢力からの侵略を防止して、攻められないような中央集権体制を目指して行われた。その後は、今度は長い国内戦争へと突き進んでいったのだ。こうしたことから歴史と戦争との関係が非常に緊密な関係があることが分かる。歴史は重要なのだ。

日本史改ざんは3回あった

過去に大規模な日本史の改ざんは3回あったと考えている。一番近いのは第二次大戦後の占領政策によるもの。戦争を二度と起こせないように、政治経済体制を大きく入れ替えると共に、文化や歴史まで改ざんした。その前が明治維新以降のもの。幕藩体制から中央集権体制へ、そして富国強兵体制へと変えるなかで、その体制に都合良く歴史を改ざんした。その前はずっと遡って、大和朝廷が中央集権体制を構築しようとして、中国にならい、律令国家を目指したとき。いまから1300〜1400年前のことだ。いまわれわれが常識として教えられる歴史は、その3回の改ざんが加えられた歴史だ。それを正していくのは大変な作業だ。でもやらなければならない。

明治以降のヨーロッパ偏重からの脱却

明治維新前後から、盛んにヨーロッパの学問を輸入した。考古学も例外ではない。結果、日本の古い歴史を解釈するのに、ヨーロッパの学問の枠組みを強引に当てはめるということになり、日本独自の文化が抜け落ちる。それが今も続いている。ヨーロッパの大航海時代というのは、ある意味で、ヨーロッパによる大規模な略奪だった。アメリカ大陸、アフリカ大陸、アジア、中東、あらゆる場所で略奪が行われた。その略奪した富でいまのヨーロッパがある。へそ曲がりの私は、ヨーロッパの古い建物を見ると、略奪した富で建てられたものだと思えてならない。日本にとってずっと目標でもあり、お手本でもあった中国はアヘン戦争でいとも簡単にイギリスに負けた。それを見た当時の日本はあわてた。日本もやられる。だからヨーロッパの学問を取り入れて追いつけ、そうすれば略奪から逃れられる。そう思ったのだろう。だからといって日本独自の文化や歴史まで捨てることはない。極端なんだね。いつまで略奪文化を後生大事に崇め奉るのか?いまや世界一の考古学者数をかかえる日本、縄文時代の1万を軽く超える遺跡、こうしたものを略奪文化で読み解こうという姿勢からそろそろ卒業しようではありませんか!

歪んだ明治維新史観

つい先頃、特に韓国との関連での歴史認識という言葉が流行ったが、もっと根本的な認識違いがあると考えている。それは明治維新以後のたくさんの歴史改竄ともいうべき歴史の改変である。そして今もそれらは生きている。かつ、歴史の研究に携わる関係者の方々も正面からそれらを正そうとしない。結果、間違いが放置されて流布されている。どう考えてもおかしなものから、巧妙にすり替えられているものやらが混在している。この国の今の閉そく状況は、こうした歴史改竄が招いていると私は睨んでいる。もっとのびのびとした歴史研究が閉そくを打ち破っていくと信じている。残りの時間をそれに費やそうと思っている。

間違ったらすぐに修正しない歴史の定説

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恵庭 カリンバ遺跡


まちがいだらけの歴史の話の続き。有名な静岡の登呂遺跡。それは弥生時代の遺構。あれはかやぶき屋根だが、実際には考古学には全く縁のない偉い建築家の先生が復元考案した。でも弥生時代の家屋は竪穴住居が正しい。なのに訂正しない。考古学者ならみな知っているはず。でも間違った弥生時代のかやぶき家屋は一挙に普及して、いまでは誰も疑わない。あちこちに建てられた。おかしいだろ!偉い先生の素人見解で、古代の歴史像が壊される。なんというこっちゃ。こうした古代の誤りはほかにもたくさんある。縄文人の毛皮のパンツをはいた服装や麻布みたいな服装も変だ。まるでマンガの世界の原始人だ。縄文人は色彩感覚に優れていた。現に北海道の恵庭にあるカリンバ遺跡から発掘された髪飾りは真っ赤で頭に何本もさしていた。縄文時代の弓もすごい。朱漆塗りだ。土器には赤と黒の大胆なデザインも施されている。縄文人は現代人とⅮNAはまったく同じ。現生人類なのだ。だから、縄文人が現代にタイムトリップしたらスマホも用意に使えるし、逆に現代人が縄文時代にタイムスリップしたら、縄文人と同じ生活になる。技術の累積による環境の違いだけが、縄文人と現代人を隔てているだけなのだ。古い時代のもろもろのイメージがかくもいい加減に形成され、流布されているのだから、何でも疑ってみるべきだ。