ヨレヨレオジサンの新米映像プロデューサー日記

66歳の新米映像プロデューサーの徒然日記

弥生時代ってどういう風に決まったか

今日は歴史の定説が結構おかしなものだというお話。弥生時代は日本人の誰もが知っているが、どうやって決まったか?東京の本郷の弥生町、いまの東大敷地内で出土した土器が発端。縄文土器とは異なるということからの命名。でも縄文時代末期の土器にも似たようなものがある。あまり境界は明確ではない。また弥生時代の定義のひとつに米がある。それで最近、土器の底に米がこびりついているのが発見され、弥生時代が500年も遡り、紀元前10世紀がスタート、終わりが紀元後3世紀中頃までの約1300年間とされているが、そうなるまでに大論争があった。しかし米は実は縄文時代から食べられていた。最も古いのが6千年前とか言われている。ならば弥生時代の定義が崩れる。また縄文時代は約1万5千年という長さ、弥生時代はわずか1300年間、明らかに比較する尺度に問題あり。縄文時代はもっと細分化すべきという話が出てあたりまえ。弥生時代重視、縄文時代軽視なのか。また考古学は土器の分類だけはやたらと細かいが、縄文時代の人々が何を考え、どんな文化を持っていたのかはほとんど研究されていない。形になっていないものは研究の対象にすべきじゃないんだと。おかしいだろ。ヨーロッパではそういう研究が進んでいるのに、日本にそれを導入しようとすると異端者扱い。こうした諸々のおかしなものが日本の歴史の定説を形成していて、日本人のほとんどがその定説を信じている。定説おかしいだろ!

66歳でフリーになって見えて来た—歴史や文化のウソ

還暦も過ぎ、66歳という年齢になると、いままでの世界が違って見えて来た。おまけにさまざまな欲望、しがらみ、浮世の義理などからも解放されるとなおさらだ。中でも、この国の歴史や文化。そうしたものがウソだらけに、いや虚構だらけと言い直そう、見えてくるのだ。いままでいったい何を見てきたのか?ありもしないものを確かなものと信じ込まされてきたことに驚く。一度それに気づくと、次から次へと展開していく。何でも疑ってみる。あれもこれも。見事に幻影は瓦解していく。では本物の歴史や文化はどこにある?その探索がいまの私の映像制作の基本的なモチベーションになっている。まるで子どものなぜなぜ攻撃のようなもんだね。でも最初から本丸は描かない。だってみんなが信じないから。比較的ショックが少ないところから始めるつもり。最終的にはやるよ。私のライフワーク。

組織から自由になるとなんでも出来る

サラリーマン時代は上司もいるし、何よりも組織のために働かなくてはならない。現役の人には誠に申し訳ないが、ズバリといえば、心底正しいと思えない組織の目標でも、自分をだまして、正しいと信じ込ませて仕事するしかない。いまその立場を離れたら、ほんと、自由だなと感じる。給料もらえるのと引き換えに、なんてくだらないことに自分の人生を消費していたんだろうとつくづく思う。私は途中でサラリーマンを一度辞めているので、比較的冷静に客観視出来てたはずだが、あらためて思い返すと、何て不自由だったことか。だからこそ、食い扶持を稼ぐための組織から自由になったいま、何でも疑って、心底自由に発想しようと考えている。そしたら面白いようにいろんなアイデアか湧き出してくるのだ。楽しいよ!あとはどう表現するかを考える、あまり突拍子もないことを言うと、アホとかかなりおかしいとか、トンデモさんとか言われるから、科学的にアプローチすることを心がけて行こう。遅いかな?かなりの変わり者と思われはじめているようだし。

歴史の定説の地下深くに埋もれる本物の歴史はどうやって掘り起こす?

私が映像プロデュースをやり始めて、今後もやり続けたいと思う大きな理由は、この国の歴史の定説がうのみにできないところがたくさんあって、残りの人生で本物の歴史を掘り起こしてみたいと思ったから。人生の第4コーナーにさしかかって、何かこの世に生きた証が欲しくなったが、これこそふさわしいと思った。もうだれに遠慮もいらない。好きなようにあちこちを掘り起こせばいい。ではどうやって掘り起こすか?まずは、自分の興味ある分野で、歴代の権力のウソを見抜くことから始まる。ウソの匂いというか、そんなものを探すということ。そのウソを発見するとゾクゾクする。そこから先は、わずかに残る、消された歴史の痕跡を探し出すこと。大昔のことでもあり、時の権力も懸命に本物の歴史を消し去っているから、なかなか見つからない。だから発見した時の喜びもひとしお。でもわずかに残っている歴史の断片だけでは、過去を再現することはできない。「欠けた部分」を修復して再現しなければならない。そこが一番のネック。大昔の壊れた壷の破片が少ししかない状態に似ている。そこから全体の壷を再構築していく。大方の破片がなくなっているので再構築はなかなかむずかしい。「状況証拠」や考古学以外の方法も援用して、そこに大胆な推理を加えて再構築するのだ。そこに時間がかかる。再構築の構想がよく練られていないと単なる解説になってしまう。練って、練って、活き活きと再構築する。その時代に生きた人も再現する。それがドラマになる。しんどい作業だが、忘れられた歴史を再現するのは、だれもやったことがないことだからワクワクする。

単なる歴史解説はつまらない、歴史フィクションは性に合わない

野暮用でブログの更新を2日もさぼってしまいました。😢 歴史ドキュメンタリー風の映像にはドラマが必要という書き込みの続き。・・・私の目指す映像はどこにある?ずっと考えていました。他の人に何と説明すればよいのか、分かっていただけるのか、考え始めると悩みは尽きない。単なる歴史解説でもない、考古学的な証拠に基づく制作だと学術論文を映像にしたようでつまらない。某放送局のような歴史ものがいいか!?「歴史〇〇トリア」?でもそれではパクリの域を出ない。ならば、いっそのことフィクションにするか?でも性に合わないな。そこで思いついた。考古学的な証拠、文献があれば文献も大いに参考にするが、それだけでは過去の再現はできない。生物の進化過程を推理していくときに必要な「ミッシングリンク(失われた環)」のようなものを想定すれば、活き活きと過去を再現できるのではないか。考古学がすべてのエリアを発掘等でカバーできないのだから、やはり「ミッシングリンク(失われた環)」は必要なのだ。そうすればドラマ性も必然的に生じる。我ながらいいアイディアだと思った。でも実現はなかなかむずかしい。映像制作一作ごとに、合理的な「ミッシングリンク(失われた環)」をいくつも考え出さなくてはならない。うーん。でもやるしかないな。もともと理系だから、フィクションにならないように十分に注意しながら、確率なんかも重視しながら、また学際的な資料、特に地学とか気象学とか地球プレート理論とか鉄鋼学とかも読み漁りながら進んで行くことにしよう!「ミッシングリンク(失われた環)」が増えれば増えるほど、ドラマ性は増すのだ。

歴史ドキュメンタリーにドラマを!

ダラダラと歴史を解説する映像はつまらない。しかも長時間見せられるのは退屈だ。でも歴史ドキュメンタリーにメリハリあるドラマ性を盛り込むのはなかなか難しい。まず歴史ドキュメンタリーの歴史の定説を学習して、その上で、「異論」も学ぶ。そのため何冊もの参考資料を読む。それらの情報を寝かせて、発酵させ、これまで誰も見たことがないドラマが立ち上がってくるのを待つ。何度も反芻する。そしてドラマを上手く伝えるシナリオにまとめる。何度も修正して仕上げる。手順はざっとこんなものだが、なかなかうまくいかない。結構しんどいプロセスだ。好きじゃなければできない。私はきっと好きなんだろう。

コントロールできない天候

一作目の撮影日程は大変だった。関係者が多くなかなかスケジュール調整が出来なかったが、ようやく決まったと思ったら、今度は連続の台風襲来予報。10月初めで台風リスクも少ないのではないか、宮城での撮影だったので11月になると寒い。それで10月にしたのだが、まさかの連続台風予報。いまさらスケジュールのやり直しもできないし、連続なので何時が良いのかも判断できないので、運を天に任せて強行することにした。そうしたら、直前まで二つの台風が撮影場所上空を通り抜ける予報だったが、なんとひとつは熱帯低気圧となって急速に衰えて消えた。もうひとつは針路を少し変えて、撮影場所直撃は回避できた。こんなことってあるんだなと神様に感謝した。しかし、やはり、完全に台風の影響をゼロにすることは出来なかった。野外での撮影で、風が強すぎて、マイクで声が拾えない。何度か取り直し。編集でもカット部分がたくさん出た。風の音がじゃましてセリフが聞こえないのだ。何度も何度も音を調整して何とか許容範囲ギリギリまで調整して完成。天候だけはどうにもならないことを痛感した次第。