ヨレヨレオジサンの新米映像プロデューサー日記

66歳の新米映像プロデューサーの徒然日記

いいチームづくりが8割

いい映像をプロデュースし、制作するには、何よりもいいチームが不可欠。単独でやれないことはないかもしれないが、それは超人レベル。なので、こうしたチームが作れたら、8割がた出来たも同然。まったくのど素人からスタートした私は、最初の作品を作るためのチームづくりにすごく苦労した。経験なし、信用もなし、ネットワークなし、お金もなしのないないづくし状態からのスタートだった。撮影班はなかなか見つからないし、出演者には何度も断られた。他にもたくさんの仕事が待ち受けている中で、チームが作れない状況は相当なストレス。楽観的な私でも、2度目の作品はもうないなと思ったほど。このチームがいま安定して稼働を始めた。何よりもうれしい。

映像プロデューサーは調整役だが強引さが必要

映像の世界に足を踏み入れて感じたのは、みな強烈な個性の持ち主だということ。言い換えると、かなり変わった人もいるということ。映像プロデューサーは基本的に調整役だが、足して合わせて調整するようなことは難しいし、それをやってもつまらない結果が出現する。どうすればいいか?自分で、自分が目指す方向に引っ張っていくのがいい。あるときは強引に。目立たぬ調整役では成り立たないのだ。

小資本映画と映像

ネットフリックスも巨大資本を投入した映画を作るようだ。ハリウッドはずっとそうだった。日本の映画はそこまではいかない。中資本かな?こうなると、個人の出る幕はないと一見すると感じる。でも、そうだろうか?小資本でもいい映画、映像は作れると思う。「カメラを止めるな」はひとつの試みだとは思う。私の方向性とは違うが。また、最新の技術も大分低コストになった。したがって、小資本映画、映像でも最新の技術を使って、さまざまな試みが可能だ。そうしたものに挑戦してみたい。

目指すはクリントイーストウッド!

クリントイーストウッドは俳優でありながら、映画監督兼プロデューサー。37歳で映画制作会社を作り、41歳で初監督。100歳まで映画を作ると宣言している。一番驚くのは、その多作ぶり。一作あたりひと月で量産している。すごい。またすごい執念めいた映画への熱情。知名度はもちろん、テーマも違うが、ぜひ見習いたい。

歳をとったら見えること、そして失うもの

最近、目がよく見えなくなる。焦点がすぐ調整出来ない。また体力は当然落ちる。ひどいものだ。諦めるしかない。頭も物忘れが加速している。この先、何もかも忘れてしまうのではないかと少々不安になる。でも悲観してはいない。仕方ないと諦めがつく。他方、あたりの状況とか社会とか歴史とかはよく見えるようになった。若いときの暴力的なエネルギーがなくなった分、景色が透き通って見えるからかもしれない。それを枯れたとも言うのか?人の欲望、集団の欲望なんかも、以前よりずっと見えるようになった。そうなると面白いね。創作意欲はかえって増してきた。ムダなエネルギーを使わないから、集中出来るのかもしれない。歳をとって悪いことばかりじゃない。

映像は新たなオピニオンリーダーになれるか? その④

最後は映像。最近は邦画も活気があるようだが、内部ではあたりそうな企画だけ採用されて、なかなか冒険がむずかしいとの話もある。売れない映画がはほとんどだから仕方ないのかも。他方、ネット配信のネットフリックスプロデュース作品がアカデミー賞の上位を占めているとのこと。莫大な予算を投入して、良い作品を作ると評判だ。でも、良い映像、映画は予算と比例するのか?必ずしもそうとは言い切れないだろう。新たな次元に切り込む映像、映画とはなんだろう?誰もが思案中だろうが、それはどのようなところにあるのだろうか?その答えが見つかったら、映像、映画はオピニオンリーダーになれるのだろう。頑張って行こう!

映像は新たなオピニオンリーダーになれるか? その③

次は新聞。思い出す話がある。数年前、通勤途中に聞いていたラジオのパーソナリティが、知り合いの若い新聞記者から「世論は自分たちが作る」と告げられ唖然としたと喋っていた。何という思い上がりだろう。新聞読者の負託を受けての新聞報道なのに、いつの間にか、自分の立場を忘れ、子供のような万能感に満ちての発言。他方、スクープ報道による自分自身のリスクに怖気付き、忖度ニュースばかり流すのはどう言い訳するのか?新聞記者の仕事は、報道しなければならないニュースを報道しないことが一番の仕事という話も聞こえてきてガッカリする。報道の使命を忘れた新聞はいただけない。すべてがそうだと決めつけてはいけないが、最近の新聞記事を見ると、明らかに政治的リスクを回避しているなと思う。